行政訴訟判決

行政訴訟判決

  • ◆S53. 1.30 東京高裁 昭和50(行コ)39 判定取消請求控訴等事件(6)

 

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に許された範囲内での自由(それは、人間の自由ではない。奴隷の自由だ。)に安住しているにすぎない。私は、教育労働者ですから、学校を例にとるなら、学校は本質的に監獄と何ら変わらないということです。
教育労働者と高校生に一体、人間的政治的自由があるだろうか、自分の主張を書いたビラ一枚も自由だろうか、教師は骨の髄まで権力に屈服しており、権力の番人、獄吏になりはててしまつており、生徒諸君は、獄中の囚人と全く同じく人間としての権利を奪われています。私は、肩をいからせて歩いている看守の姿に自分自身の姿を見、思わず苦笑しました。監獄はどこか遠くにある別世界ではなくわれわれの現世界そのものが軍事監獄化しているということです。
(ロ) 今起訴されて職場から追放された場合、私は犬死になるのではないか。不起訴であれば復職で

きよう。いま少し権力と妥協し、職場に帰り「反戦」の組織化を再構築すべきではないか。人間の変革をめざす教育労働者としての仕事が残つているのではないか。
だが、これらの思惑は権力に対する日和見主義の合理化であつただろう。ここで権力に屈服し、起訴をまぬがれ職場にもどることができるとして、私に一体何ができるたろう。大衆の前で革命が必要であることを語ることはできなくなるだろう。沼津反戦はいいもの笑いの種となるだろう。」
4 本件事案の背景
(一) 昭和四四年は、一〇月二一日の国際反戦デーの行動を始めとして、一連の学園紛争から過

激な街頭デモなどで、いうならば日本国中が揺れ動き、動揺した一年であつたといつても過言ではない。いわゆる東大事件京大事件などを始めとする学園紛争、これに対する機動隊による学園の封鎖、解除、街頭では過激なデモ等々、社会の耳目をそばたたせた事件が相次いだのである。例えば、四月二八日は、沖縄デーの中央統一集会をしめだされた学生らが、東京駅から線路上をデモして交番に投石放火をし、また、新幹線や国電がストツプし、逮捕者は九六五人にのぼつたと報じられており、六月八日には、アスパツク反対で反代々木学生と反戦青年委員会の労働者が伊東で機動隊と衝突し、二

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