行政訴訟判決

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  • ◆S53. 2.14 東京高裁 昭和50(行ス)13 被告変更申立却下決定に対する即時抗告申立等事件(15)

 

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ならば、以下の如くなるであろう。
ここに、甲という者が浄久寺に参詣しようとするときには、浄久寺に至る遙か手前の道路上から、小山の中腹の洞に懐かれるようにして配置された本堂や庫裡の甍を木の間に眺めて、まず第一の精神的浄化を受けるであろう。やがて、甲が参道の入口に立つと、彼の参拝に向う心は一層準備されて浄化されることになる。参道はゆるやかな登り勾配をなしていて、途中には数段づつの石段が何ケ所か設けられている。石段を踏みしめるごとに甲の心身は参拝を準備するある厳粛さを感じるのである。そして彼は、左右に搭頭(たつちゆう)跡の境内地を見る位置まで歩みを進める。左方の塔頭福生院跡の境内地には、桜等の木々が植えられ、その中央に放生池が設けられている。放生池とは、仏教における最上の戒律である不殺生戒を教化する実践的方法と

して設けられた生類を放つ儀式の執行の場であり、池を眺めれば甲は不殺生の心を起し心身は愈々参拝を準備することになる。そして山門境内地を経て、石段に導かれて本尊の安置された本堂前に至るのである。本堂前に立てば、そこは静寂の地である。下界の車の騒音などは聞えてはこない。俗界とは結界された聖域とでも呼ぶべきであろう。甲は静かに合掌し、本尊を礼拝すると住職の説教を聴くのである。浄久寺固有の境内地、伽藍等の配置によつて充分に準備された心には教えも砂地が水を吸い込む如く吸収されて行くのである。
右は、ほんの一例にすぎないが、宗教施設の構成とい

うものは、古来から右と同様の意図を持つて形成されてきた。ところが、本件自動車道が完成することによつて、どの様にこれが変更を余儀なくされたのであろうか。
甲は浄久寺に参詣しようとする。遙か手前の道路からは、高速自動車道ばかりが威容を誇つて見え、自動車騒音が周囲の山と谷間にこだましている。もう、元の参道はどこにも見えず、代つてポツカリと口を開けたコンクリートのトンネルが参道の役目を果しているが、頭上を大型トラツクが行き交う。心が洗われる思いをした放生池は今はもうない。冷たいコンクリートのトンネルを抜けるとそこも自動車道路の路傍である

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